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吃音で修士論文を書いた元スクールカウンセラーのコミュ障が改善する方法

「どもって話したらどうしよう。」という不安が生まれます。これが予期不安です。「どもって話したらどうしよう。」という不安になった場面を避けてしまうと、どもって話すことはよくはならないのです。吃音は吃音者の心理に大きく影響をあたえています。「どもって話したらどうしよう。」という不安を少しずつなくしていくことが吃音を治す方法です。

吃音者宣言は「吃音と付き合う」か「吃音を治す」の究極選択です。

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1、吃音者宣言(全文)

 

私たちは、長い間、どもりを隠し続けてきた。

 

「どもりは悪いもの、劣ったもの」という社会通念の中で、

 

どもりを嘆き、恐れ、

 

人にどもりであることを知られたくない一心で

 

口を開くことを避けてきた。

 

「どもりは努力すれば治るもの、治すべきもの」と考えられ、

 

「どもらずに話したい」という、吃音者の切実な願いの中で、

 

ある人は職を捨て、

 

生活を犠牲にしてまでさまざまな治す試みに人生をかけた。

 

しかし、どもりを治そうとする努力は、

 

古今東西の治療家・研究者・教育者などの協力にもかかわらず、

 

充分にむくわれることはなかった。

 

それどころか、自らのことばに嫌悪し、

 

自らの存在への不信を生み、

 

深い悩みの淵へと落ちこんで行った。

 

また、いつか治るという期待と、

 

どもりさえ治れば

 

すべてが解決するという自分自身への甘えから、

 

私たちは人生の出発(たびだち)を遅らせてきた。

 

私たちは知っている。

 

どもりを治すことに執着するあまり

 

悩みを深めている吃音者がいることを。

 

その一方、

 

どもりながら明るく前向きに

 

生きている吃音者も多くいる事実を。

 

そして、言友会10年の活動の中からも、

 

明るくよりよく生きる吃音者は育ってきた。

 

全国の仲間たち、

 

どもりだからと自身をさげすむことはやめよう。

 

どもりが治ってからの人生を夢見るより、

 

人としての責務を怠っている自分を恥じよう。

 

そして、

 

どもりだからと自分の可能性を

 

閉ざしている硬い殻を打ち破ろう。

 

その第1歩として、

 

私たちはまず自らが吃音者であることを、

 

また、どもりを持ったままの生き方を確立することを、

 

社会にも自らにも宣言することを決意した。

 

どもりで悩んできた私たちは、

 

人に受け入れられないことのつらさを知っている。

 

すべての人が尊敬され、

 

個性と能力を発揮して生きることのできる

 

社会の実現こそ私たちの願いである。

 

そして、私たちはこれまでの苦しみを

 

過去のものとして忘れ去ることなく、

 

よりよい社会を実現するために活かしていきたい。

 

吃音者宣言、それは、どもりながらもたくましく生き、

 

すべての人びとと連帯していこうという

 

私たち吃音者の叫びであり、

 

願いであり、自らへの決意である。

 

私たちは今こそ、私たちが吃音者であることをここに宣言する。

 

 

(全国言友会連絡協議会 昭和51年5月1日 言友会創立10周年記念大会にて採択)

 

 

この吃音者宣言を読むと、

 

大人の吃音はとても治りにくいのです。

 

1、吃音を治すのをあきらめ、吃音と付き合っていく。

 

2、どんなに時間がかかっても吃音を治す。

 

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究極の選択です。

 

1と2のどちらを選んでも難しいのです。

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吃音者宣言はコミュニケーションの大切さを表しています。